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2018年4月5日木曜日

プーリア:ブリンディシ:東方世界への港

2018年秋の「イタリア美術と歴史の旅」はブリンディシの空港に降り立つので、ブリンディシについて。

Castel Svevo

ブリンディシという名前は「鹿の頭」という意味で、それは地形から来ています。南イタリアの多くの街は、起源が紀元前に遡るのは当たり前で、イタリアの世界に稀に見る特徴を物語っていますが、この街もその一つ。

世界史の花、古代ローマが世界帝国になった理由は様々ありますが、マイルストンや「全ての道はローマに通ず」という言葉が表しているように、街道を整備したことが一つの大きな理由です。その最南端がこのブリンディシでした。古代ローマ街道の中でも最も有名なアッピア街道とトライアヌス街道の終着地なのです。


このためここには様々な文化的背景を持った人々が特に頻繁に出入りしました。特に東方、ビザンチン、コンスタンティノープルや、19世紀にはボンベイ(インドの現在のムンバイ)との深いつながりがありました。

1927年からは大戦下で、アドリア海における最大の港となり、43年9月から44年2月までの数ヶ月は、政権の混乱期にイタリアの首都とさえなりました。そんな世界史を語れるような街なのですが、今は鄙びた小都市です。


当然、考古学博物館など見るべきものはありますが、何しろ日本に来たら大展覧会になるようなものが、南イタリアでは、ゴロゴロ山積みのように出てくるので、全て見ているわけにいきません。前回は一泊できなかったので、今回は到着した日の夜だけですが一泊し、午前中はこの街を見倒したいと思います💪

どんなガイドにも書いてあるのが、「古代ローマの円柱」で、それはかつて世界の花の港だった時代の場所に立っているというのですが、最近起源についていろいろ言われています。私は考古学は音痴なので、「来た。見た。勝った。」の古代ローマのようにはさっぱりいきませんでした。「来た(これは日本語と欧米語のgo=andare,とcome=venire,の使い方の違いで、行ったと同じ意味。)。見た。けど分からなかった。」普通の街並みにある階段にいきなりポツンと立っているその柱は、それほど価値があるものなんだ。ふ〜ん。どう感動すればいいんだろう???


一番気に入ったのは、例によって中世らしい聖堂です。エルサレムの聖ヨハネという名のSan Giovanni al Sepolcro は小さな円形の聖堂で、またまた普通の家に挟まって、縮こまっていますが、中にはフレスコも残り、ロマネスクとビザンチンの融合したイタリアならではの、ロマネスク好きにはたまらない聖堂です。



シンプルな力強い造形です。当時は壁には全体的にフレスコがあったのでしょう。部分的に残っています。やはり完全な形態である円には特別な力があります。


聖堂は街の人たちのこじんまりしたお庭みたいな場所にあります。木が北部と南部で全然違います。夏は何より太陽の光が違うのと、風が素晴らしいのを覚えています。


もう一つ、救世主の聖堂と言う名の Chiesa del Cristo が典型的なロマネスクですが、これはジェノヴァの聖堂を思い起こさせます。レッチェへ向かう、かつての門の入り口にあり巡礼聖堂だったのかもしれません。

cattedrale

この他に当然司教座聖堂があり、そこには博物館が併設されていて、私の記憶ではフェデリコ(フリードリッヒ)二世直筆の御触れなど見ました。ルネサンス期(だと思う)の投票箱だとか、印象的でした。


司教座に併設された、獅子図書館です。見てるといくらでも行きたくなります。イタリアの人たちはなんて恵まれてるんだろう。こんな素晴らしい環境で一年中勉強しているなんて、とついつい思ってしまいます。


これは最初の写真、ホーエンシュタウフェンのお城ですが、ここで行くべきかどうか。多分その時間は無いでしょう。何しろプーリアには12世紀ルネサンスの夢と仰がれる、フリードリッヒ二世始め、彼らの素晴らしい要塞がた〜くさんあって、どれか一つを選ぶしかありません。


これはそのうちの一つで、ブリンディシ郊外のオリアと言うところにある、美しい要塞風景です。

でもブリンディシは私なら残ってもいいけど、仲間のために、午前中で後にして、次の街プーリアの三代首都(フォッジャ、バーリ、レッチェ)の一つレッチェへ向かいます。


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