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2018年5月23日水曜日

旅の計画の方法:「イタリアの美術と歴史を巡る旅」の場合

旅は絶対に自分の好みにあった内容にすべき、っていうのが私の考え。

だから好みの合わない人と一緒に行くのはやめましょう!
喧嘩の元👿

私の場合は、美術作品(絵画、彫刻、建築、都市構造など)を訪ねて回るのがメインで、その合間に景観の素晴らしいところを組み込みます。私自身は毎年一ヶ月は滞在しますが、一般的には一週間から10日程度だと思うので、そんな感じで読んでください。今回は、人生一度だけじゃなく、リピーター向けです。

その時に考えることは、できるだけ移動時間を少なくし、鑑賞時間を多く摂ること👭
だから電車好きとかは全く違った旅になりますね👻
なので遠距離をあちこち移動しまくる、忙しい旅は最悪です。疲れるので鑑賞もおろそかになってしまいます。夜、観劇しながら居眠りするようなことは絶対無いようにしなくちゃ💤



1、どの辺に行くか決める。
  最低でも、北、中、南イタリアのどれかに絞る。
トスカーナのように充実した博物館や聖堂がたくさんあるような場合は、絶対トスカーナだけにして、2〜4都市に滞在する。

例)フィレンツェ(空港の発着もフィレンツェ)なら最初と最後に2泊づつ、中でシエナ、ピサ、ルッカ、ピストイアなど入れる。

ローマは何年いても見尽くせないからローマだけ10日で、近隣に日帰りするのも良い。

例)ティーボリとハドリアヌスの遺跡に1日使う。
  モンテカッシーノなど、ぽつんとした大修道院へ行く、など。

アブルッツォ、カラーブリア、サルデーニャ(当然モリーゼも)州などへ行く人は旅の強者か、友人がいる人でしょう。その辺は自然が勝負で、重要聖堂や博物館はひしめき合っていませんから、結構あちこちの街を移動しながら楽しむほうが良いと思います。距離や移動に時間がかかる上、下調べをよくする必要があります。逆に住人のような楽しみ方はできるかもしれませんが、それには言葉が必要でしょう。

2、訪問地が決まったら、絶対外せない聖堂や博物館を調べる。

それには一番時間がかかります。あっちもこっちも行きたくなるので、鑑賞時間や交通手段などを考慮しながら選択。

正直言って、一般的な日本語のガイドブックには本当に表面的なことしか載ってないから、英語ができる人は英語のガイドブックで探す。ずっと本格的な資料があります。もちろんイタリアへ行くならイタリア語が最高だけどね。

美術や歴史の好きな人は、ガイドブックじゃなく絵画や歴史の本を読んでから行くほうがいい。全く理解度が違って印象にも深く刻まれるので、何百倍も濃い旅が実現。宮下孝晴、藤沢道郎といった先生の本なら読みやすいし、入手も楽です。

あとは当然ネットを活用します。イタリアの多くの街は観光に力を入れているのでかなり情報があります。個人サイトは私も含め、当然主観なので、公式サイト(市、博物館などの)は必ず一度は見るべき。

3、最後に宿を決める。

1)とにかく経済的にしたい人  → ベッド借り(ユースホステルみたいな他人と共有の宿は、楽しめる人なら安い、楽しい、情報もあるで最高です。20ユーロくらいからあるので、私はよく使います)

2)豪華に普段と違った高級空間を求める人 →  一晩何十万もするスイートもあるけど、プール付や温泉付きなどの、いわゆる豪華リゾートホテルは沢山あります。この場合、絶対汚い格好で行くのはやめましょう。当然、それなりの出で立ちで、ゆったり構えて行ってください。でないと馬鹿にされ、不愉快な思いをするかもしれません。

3)時間がないから便利な場所に泊まりたい人 →  大抵駅前に宿はあります。間違いなくあちこち移動するには便利ですが、場所代としてコスパは悪いのが普通。


村のバス停のすぐ近くのホテルに飛び込んだら、異常にガーリー!村のメイン広場に面し(と言ったってうちのご近所付き合い程度の大きさ)ていて、町中の人の動きが監視できる。鍵をもらって裏庭から出入り。ピンクな空間に蝶々が飛び回る部屋。

4)お風呂つき、すべて日本の生活のように便利でないとダメと言う人 →  イタリアに行かない方がいいと思いますが、どうしても行くなら旅行代理店にその辺をよく相談して確認してください。当然普通の4〜5つ星のホテルになります。ヨーロッパ人はシャワーだけで生きている人がた〜くさんいて、風呂桶がないことに問題を感じません。客相手の対応も日本のように、低姿勢で愛想が良くもなかったりするのが普通。多少なりとも強くないと、生きていけないのです。

5)ホテルが嫌いな人、趣味の宿を求める人 →  修道院、元修道院、元城、元宮殿、など歴史的な建造物を改修した宿

6)慣れた人、言葉ができる長期滞在する人 →  アパート(B&B)


この宿の家主は隣に陶器を中心にしたお店も持っていて、階段がテラコッタと焼物でできている。部屋はめちゃくちゃおしゃれで、アンフォラ(古代の水甕)やモンレアーレの修道院柱頭を思わせる、透かし彫りのテラコッタが壁に埋め込まれたりしている。


5&6:これって私😜
ビジネスホテルみたいな宿大嫌い!何処でもおんなじで雰囲気なし。私は4〜5星のホテルでも普通の近代的なホテルが好きではありません。わざわざヨーロッパまで来て、なんでこんなとこ泊まるのかって思っちゃう。普通の良いホテルは、普通に綺麗で清潔で便利です。24時間フロントに誰かいて助けてもくれます。それに引き換え、歴史建造物を改造したところは、それぞれの部屋が皆違っていて、グループで行くと当たり外れがあるし、エレベーターが無かったり、扉などの使い方が日本と違ったり、お風呂は別にあるときもあります。が歴史と美術を愛する貴方ならそのほうが絶対楽しめるはず。教皇ヨハネパウロ二世が泊まった部屋とか、ルネサンス期の大商人の生活が分かるかと思えば、19世紀の貴族が作った妙な折衷型のお屋敷とか、シエナの聖カテリーナの修道院では朝からお祈りが聞こえて、私は修道女に怒られまくりましたが、それでも私はそう言うのが大好きです。


領主のお屋敷を改造した宿。周囲には農園が広がりポツンとした場所にあるので、車で送り迎えしてもらった。建物は良くも悪くも古く、部屋に電話など無いしガス設備も旧式で熱湯が出る時間に限りがあったようだ。私の泊まった部屋には壁一杯に絵がかかり、いかにもイタリアらしく面白かった。私が立っているのは二階の中庭で、17世紀の泉や、日時計のある壁など雰囲気がある。木造部分は北方らしい作り。

最近日本でも流行りのアパートと一部のB&Bは、基本的にフロントがなく、鍵を受け取って生活するので、絶対に言葉が必要です。電話をかけたり、ネットで連絡を取り合いながら落ち合って、問題が起こっても側にいないので電話などで解決します。当然普通のホテルと違って、キッチンや居間など普通のイタリア人の家のようになっている場合もあり、それがもし観光地でなかったり、辺鄙な場所ならすごく安くて綺麗です。コミュニケーションに自身のある人は利用しましょう。


サルザーナのアパートは家主のお母さんが住んで居たところで、素晴らしかった。どっしりした上質な家具などホテルと違い、住む人が自分のために大切にしていたのが分かる。

今年の宿泊場所も面白いところばかりに決まったので、また書きます💖

2018年5月20日日曜日

ポジターノ:2泊百万円のホテル

「2018;歴史と美術の旅イタリア」の後半戦はナポリとその周辺ということで、ま、アマルフィとか連れて行ったらみんな喜ぶかな〜とか思いながら、でもポジターノも近いし都合の良い方へ2泊くらいして・・・なんて気軽に考え宿を検索してみたら、唖然・・・・。

2泊で¥1018077(一部屋)と出ました。最初、どこかで間違えたかと思ったけど、入力ミスではなく本当に2泊で百万円超!

いかに「お金をかけず、面白いところ」へ泊まるかを追求している私にとって、目を疑う数字でした😳

地中海の青と太陽を受けて輝きまくるど黄色の新しい泉。こんな醜いものいらない!

丘の上から湾全体を眺められる、広いテラスでワインとオードブル。オリーブの実なんて、この辺なら美味しいとこはどこにでもあるっ!

海が見えるレストラン内の壁面に自然木が這い、天井の木を模ったシャンデリアと呼応する。ふけちゅじゃないの〜😅

と、いろいろ文句をつけるまでもなく、鼻から宿泊は無理なのでした。

ここもアメリカ映画やドラマに出てくる最高にロマンチックな街。なぜそうなったかっていうと、1953年に「ハーパーズバザー」にスタイン・ベックが寄稿したのがきっかけ。

そこは夢の場所。
実際に行ってみなければ
存在することさえ信じられないような。
そこを離れた時初めて
現実味を持って
郷愁が迫ってくる。
急勾配の斜面にへばりつく家々
その間を縫うように続く階段以外
まるきり崖なのだ。
目を疑うほど美しい青く緑がかった海が広がる
小さな入江・・

勝ってにイタリア語も交えて訳してみました。きちんと知りたい方はオリジナルを読んでください。当時のスタインベックは「怒りの葡萄」「エデンの東」などで成功した大注目作家でした。彼は、本当は紹介したくないとか言ってますが、その発言は今も影響力を持っています。


さらに50年代はアメリカの成功者たちが続々とヨーロッパへ観光しに押し寄せていたこともあり、それまで本当に美しかった田舎のアマルフィ海岸はすっかり、観光地化されてしまいました。な訳で、格差社会を気にもかけない冷酷なセレブリティ御用達の、有名ホテルがあるのでした。

あー、びっくりした。絶対泊まらないけど(泊まれないだけじゃなく、お金があっても泊まるもんかと思う私であってほしい😇)、時間が許せばアマルフィの宿から1時間超でいけるので寄ってみるかも。でした。
追伸:ちなみにもちろんこれより経済的な部屋もあります。


2018年5月11日金曜日

ポジッリポ:世界で最もロマンチックな場所?

Posillipo(ポジッリポ)はナポリから車だと15分かからないで行ける場所にある街。歩いても1時間50分だそうで、海岸沿いのVia mare(その名も海通り)をサイクリングすれば最高に気持ち良いところです。

ポジッリポから見たベスビオ火山。左側の木の向こうにはナポリ湾。

私は行ったことがないし、正直行って美術的に価値の高い聖堂など無いから「世界一ロマンチックな場所」と思わないだろうけど、私はこの発言を何度もアメリカ映画やドラマで見ています。「クロッシング・ライン」(ヨーロッパ特別捜査チーム)でも、イタリア人役の捜査官がロマンチックになる💏場所として出て来ました。

確かに綺麗な所ですが、イタリアには海岸沿いの丘にできた街は、チンクエテッラ以外にも幾らでもあります。チンクエテッラが中世の貧しい漁師町なのに対して、こちらは古代遺跡と近代の貴族達の避暑地という感が強いですが。18世紀に盛り上がるグランド・ツアー時代には、イギリスやフランスなどから、貴族のボンが恥かしくない知識を習得するためにイタリアに長期滞在しに来ました。その多くが中南部イタリアに取り憑かれています。小説も書かれ、初期の映画の舞台にもなり、絵画ではポジッリポ派という画家達も生まれました。ナポリで集まって活動した彼らの作品は、ほとんど風景画です。

Antonie Sminck 1826

これは古代ローマ時代に土地の石で作られた洞窟です。自然なものではなく、古代に重要な港だったPausilypon(ポジッリポのギリシャ語名)の、港と他の街をつなぐ通路でした。770メートルに及ぶ洞窟は19世紀に整備され現在は、大ギリシャ遺跡地区に出られます。ちなみにギリシャ語の意味は「苦痛の休戦(停戦)」という意味で、要するに、嫌な事を忘れて疲れを癒してくれる場所、という事だったと思います。

皇帝の館、遺跡地区内

大ギリシャというのはマグナ・グラエキアの訳ですが、今のギリシャではなくイタリア南部のギリシャ植民都市を指します。南部イタリアには、現在のギリシャよりも状態の良いギリシャ文化の遺構があちこちに残っていますが、これもその一つ。館のこちらには円形劇場が見られ、古代ギリシャ人にとっ演劇がいかに大切だったかが分かります。

Palazzo degli Spiriti

写真を比較してください。この二枚の写真は同じ場所で今度は海側から見ています。古代ローマの遺跡ですが、中世を通じて「精霊達の館」と呼ばれて来ました。夕焼け時は特にロマン派の画家達にインスピレーションを与えたようで多くの作品があります。

Villa Volpicelli

ここではお屋敷はほとんど海岸沿いに建てられ、素晴らしい眺望がありますが、この館は特に海の上に立っているように見えるように、設計されています。

Palazzo Donn'Anna

この町で一番有名なお屋敷は、この発音しにくいドンナンナ(本当は詰まるのでもっと難しい)です。名前の意味は「女主人」です。1637年にナポレオン家のお姫様の結婚のため、当代最高のナポリの芸術家Cosimo Fanzagoが着工しましたが、住むはずだった公爵がスペインに帰ったり、女主人自身も死んじゃうし、革命下で破壊されたりして結局完成しませんでした。最初の姿に修復されたかと思うきや、ポジッリポが観光地として脚光を浴びると、道の拡張工事のため部分的に破壊されたり、今は高級ホテルになっています。ホテルにいながらビーチ状態みたいな場所などありますが、お部屋は現代的な意匠です。とにかくビーチっていう欧米人にはいいかもしれないけど、私たちはナポリに連泊するのでここには泊まりません。

Nisida

権力者のお屋敷続きでもう一つ。これは「ブルータスお前もか」のブルータスの屋敷があったニシダ(西田と変換されちゃいます)島です。ここで紀元前44年にカッシウスと、カエサル(シーザー、チェーザレ)殺害の計画が練られた。と書いてあります。その後ブルボン支配下で監獄になりました。ありがちです。でもこの距離ならば「パピヨン」(1973年の映画。スティーブ・マックイーンが無実の罪で投獄され、脱獄しようと頑張る。私にとってこの映画はイタリア語で見た初めての映画で、最後にマックイーンが島から海へ飛び込み、io sono vivoooo!(俺は生きている)と叫ぶシーンが忘れられません。)でなくとも泳いで逃げられそうです。橋は本土と結ぶ橋で、島の向こう側は見事な円形の湾になっていて、古代から素晴らしい避暑地だったと容易に想像できます。

Gaiola

ニシダ島の近くにガイオラもあります。これは島というより岩のような存在ですが、一応建造物もあり二つの島を渡る橋があって、夏のバカンスにはもってこいって感じ。陽気なとか明るいという意味の名を持つ島らしいですね。


この辺には潜ることができます。日本よりずっと水温が高いし、地中海は穏やかなのでダイビングをする人には憧れの場所でしょう。でもちょっと潜るだけで綺麗なので、私も別の場所でやったことがあります。写真はあちこちにある洞窟の一場面。こういうの見てると「世界一ロマンチックな場所」っていう意味もわかる気がします。

Villa Roccaromana

ローマ人の岩館です。このように足元がどこか別の街に繋がった巨大なトンネルになっていたり、一部に海が入り込んでいたりするところなど、まるで古代の文書を読んでいるような気になります。

9月の「ナポリとその周辺」の旅では一日使って行って見たいと思っています。できれば洞窟を通り抜けてクーマエまで歩きたい。クーマエは西洋古典文化の父ウェルギリウスの「アエネーイス」に登場する巫女シュビラが神託を授ける場所!システィーナ礼拝堂のミケランジェロも描いています。

Michelangelo, cappella Sistina Citta di Vaticano

Cumae

古代の神託を体感した後、現代のナポリへ帰ります。
旅人募集:romanici@gmail.com へメールください
#イタリア #旅


2018年5月9日水曜日

2018:イタリア美術と歴史の旅(日程)

#旅 #イタリア

イタリア政府観光局のモリーゼ州のサイトです。
http://visitaly.jp/recommend/borghi-in-molise

今年のイタリア美術の旅(9月)は、2グループに初挑戦!

Bitonto

グループ1:プーリア+モリーゼ
めっちゃマイナーな訪問地がかなり含まれるため、参加者は極少数で締め切りました。

グループ2:ナポリとその周辺
これは大美術館、博物館、カタコンベをメインに、ポジリッポ、アマルフィなど華やかな場所が目白押しの旅です。イタリアへ行ったことの無い人にも大変有意義です。一緒に行く人を大募集してますので、興味のある人はぜひ連絡ください。いずれにしろ小グループですので綿密に説明などできます。 
💟romanici@gmail.com このナポリとその周辺の旅は9月21日〜30日ですが詳細は後日アップします。

Monte Sant'Angelo

グループ1(日程)
11日 成田発ブリンディシ(プーリア州)到着 
    ブリンディシ、アパート泊

12日 午前中ブリンディシ見学 →オストゥーニ(20~50分)
    オストゥーニ、アパート泊
*移動時間が異なるのは列車とバスの違いです。その時の天候や疲れ具合、見学状況でどっちにするか判断します。

13日 →バーリ(列車、1時間)
    バーリ2泊
            バーリ市内はもちろん、ここからビトントなどへ出かけます

15日 →モルフェッタ(列車、28分)
    モルフェッタ1泊

教皇一行を迎えたMolfetta

16日 →モンテ・サンタンジェロ(車、1時間半)
    モンテ・サンタンジェロ、B&B泊

17日 →カンポバッソ(バス、3時間54分)
    カンポバッソ2泊

19日 →イゼルニア(バス、51分)

Campobasso

20日 →ローマ(2時間15分、バスでも列車でも、その時の都合で)
     グループ1の旅はここで終わり。成田へ。
    とっても珍しい旅に同行ありがとう💚

私だけイゼルニアからナポリへ向かい、第二グループを迎えに行きます!
ナポリとその周辺の濃密な旅へ、一緒に行こう!連絡してね





2018年4月15日日曜日

プーリア:オストゥーニ;白い迷宮の街


オストゥーニは、プーリアの栄光の港ブリンディシからアルベロベッロ方面へ少し入った内陸にあり、私は行ったことがありません。しかし観光的にはプーリア州で結構上位に来る有名な街です。ガイドブックやネットにも「プーリア」でいろいろ調べていると、よくオストゥーニの写真が出てきます。英語圏のツアーなど盛んなようです。


なぜ私が行ったことが無いかといえば簡単で、美術的には後回しになってしまうからです。要するに際立ったロマネスクのモザイクや浮き彫りも無いし、ノルマン王朝のお城もないし、美術館もないし・・・という具合。でもイタリアの歴史ある街には、何にもないと言われながらも素晴らしい見るべきものがあるので、行けばいろいろ楽しめるのは分かっています。一般的には美術を見に行くわけではないので、風景や街の景観や自然の美しさなどが、普通の旅のポイントだから。そういう意味でここは街の眺望が人気を博しています。


「白い街」という特徴的な眺望は、南部イタリアの強烈な太陽光線対策の一つとして生まれたと言われています。壁に石灰を塗って、紫外線の経年劣化を緩慢にさせるのですが、土地で取れる石灰の白さが光を反射し、遠方からもキラキラ光るのが美しいのだとか。これは地中海のあちこちで見られる現象ですが、ここは街全体が小高い丘の上にあり、観る場所によっては、背景にアドリア海が覗き絵のようです。


いつものように鳥瞰で見てみます。あまり良い写真が無かったのですが、オストゥーニ市のサイトから借用しています。旧市街は二つの丘に別れて作られています。地図を見ると明確で、小さい方の塊がより古い地区です。市の観光情報も驚くほど少なく、街の規模が知れます。丘に張り付くように、渦を巻きながら小道が、白一色の街中を通り、大聖堂へ続きます。周囲の近代的な街は、対照的に碁盤の目状に整理された道となっています。

余談ですが、この一番古い地区の端っこに宿をとりました。すごく可愛い宿がたくさんあるのですが(街の規模に比較しという意味)、どれもダブルベッドで、シングルベッドが3つ以上入る宿を探すのが結構大変でした。いわゆるホテルは旧市街の外にあり、そっちは当然いろいろ選べますが、私はどうしても歴史中央地区に宿りたいのです。


司教座聖堂とは思えない、可愛い聖堂です。と行っても司教座があるということは昔はそれなりに大きな街だったのでしょう。この聖堂で美術的に最も重要なのは扉で、浮き彫りは聖母の生涯の物語です。宿からすぐなので、堪能できるでしょう。


こんな通りが特徴的で、街全体を支配しているようです。歴史的には次から次へと、支配者が変わりました。ロンゴバルドやビザンチン、レッチェやターラントの支配下になったり、そんな跡があるのでしょうか?特別見るべき美術もなく、街中の小道を歩き回る、オストゥーニになりそうです。住んでいた頃を思い出します。と言っても、私が住んでいた処にはどこも、博物館や見るべき聖堂がたくさんあったのですが。

日本人訪問者のサイトも幾つかありました。たくさん写真を載せているので検索してみてください。

2018年4月12日木曜日

プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光

「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」に行って来ました。

公式サイトです。
https://artexhibition.jp/prado2018/

ベラスケスは美術が好きな人なら誰でも知ってるビッグネームです。正直言って、私は初期イタリアバロック以降のバロック、特にオランダやスペインのバロックが、今一好きではありません。ルーベンスなんか西洋美術館へ行く度に、やっぱり好きじゃないな〜と思ってしまう。

今回行ったのは、スルバランの自画像(?)と言われている作品を見るためでした。スルバランは中学生の時に画集で非常に気に入り、それ以来本物はあまり見られていませんが、好きな画家です。張り詰めた空気の中に熱烈な信仰心が溢れているのに、時間が止まったような彼の絵は、描き方は自然主義的な部分もありますが、シュール(超現実的)です。私は、完全な美と善の支配する超越的な世界に子供の頃から惹かれているので、超現実的な空間を無視できません。スルバランの作品も数点来ているのが、見に行った理由でした。

でも期待以上に面白い展覧会で、有名画家の名前だけに頼ったうんざりする展覧会とは違って、質が高く十分鑑賞できる環境(異常に混んだりしていない。パンダにお客を取られたか?)で満足でした。

ルーベンスは、どうしてそんなに評価が高いのか私には理解しかねる(歴史的、政治的背景以外)のですが、ベラスケスは流石で、彼が一枚上なのが明確です。思わず今回の目玉になっている、「バルタサール・カルロス王子の騎馬肖像」のグッズを買ってしまいそうになりました。王子のかぶった帽子も買いそうでしたが、後があったので買い止まれました(やれやれ)。

4歳くらいの女の子がお父さん(にしては年配な気もした)に「あれ何?」としつこく聞いていました。磔刑について聞かれた時は「キリストだよ」と答えましたが、ティツィアーノのビーナスのことを聞かれると、最初は無視し、しつこく聞かれたので「絵だよ。絵!」と言う返事。太った素っ裸の横たわる女性の隠部を見つめる楽器演奏者、と言うとんでもない絵を説明することは難しかったようです。

私は一般の人と、美術に関しては特に、感覚が乖離しているので、周囲の人の反応を見るのも楽しみです。時々は見知らぬ人たちと話したり、ちょこっと説明したりします。

非常に印象的な作品が何点かあります。カタログを買いたかったけれど、いつものやたら偉そうな分厚くて重い装丁だったので、辞めました。あんなもの買ってたら家が潰れますから。もっと軽くて、手頃なカタログにしてほしいといつも思っています。

王妃の間へ続く階段に飾られていた、道化師らの作品群は、人間の残酷さや悲しさ、生きる事の難しさなど複雑な気持ちにさせますが、ある意味で最も感動的なもので、ぜひ注目してほしいです。


ベラスケス展は撮影できませんが常設は大抵撮影できるので、携帯でいい加減に撮ったルノアールです。ティツィアーノと近い、横たわるデブ女です。こう言うの見てると、勇気付けられますが・・・。どこが良いの????


2018年4月7日土曜日

プーリア:レッチェ; 究極のプーリア・バロック

私はレッチェに泊まったことがありませんから今年は絶対宿泊するつもりです。イタリア半島のふくらはぎに当たるプーリアは、細長くアドリア海に面していて、歴史的にも行政的にもだいたい三つの地域に分かれています。北からフォッジャ、バーリ、レッチェですが一言で言ってしまえば、非観光地で移民や農産物関連の仕事が多いフォッジャ、中世ノルマン王朝の名残を最も留めたバーリ、ド派手なバロック様式の聖堂が際立つレッチェかな。

Santa Croce

Piazza Sant'Oronzo

言わずと知れたことですが古代の遺跡は見事に残っています。街の守護聖人の名を持つ広場は、旧市街の中心にあり、その中心はアンフィテアトロ(古代ローマ劇場)跡です。このアンフィテアトロを基準に街が構成されているためか、歴史的に圧倒的な権力が存在したためか、北イタリアのコムーネ(自治都市)のような、市民的な規模や価値観とは違った、広い空間と派手さが目立ちます。

Piazza del Duomo

中世の痕跡や印象はあまりなく、バロック時代以降の建造物が、嫌が応にも目を引きます。司教座聖堂広場も大変広く、周囲に重要な宗教建造物が立ち並び、まるで舞台のような印象を与えます。

Santa Croce

最も有名なのはSanta Croce(聖十字架)聖堂で、レッチェと言えばこの聖堂のファサードが載るのが普通です。最初の写真がその一部です。執念さえ感じる装飾を全面に施した、バロックの楽しさも俗悪さも感じる聖堂ですが、ここまでやればやはり芸術の域だろうと、納得させられます。この聖堂は複合施設の一部で、通りいっぱいに白いバロックの館が延々と続くのですが、前に広場が無く、なかなか良い写真が撮れません。広角にするか見上げるかしかないのが残念です。

San Matteo

私にとって印象的だったのは写真の聖マタイ聖堂です。十字路の角にあるのでいきなり現れます。一般に南部イタリアのバロック様式はスペインのバロックと似て、平面的な構造の上に装飾を気の狂ったように加えてゆく、というものですが、この聖堂はローマのボッロミーニやベルニーニの作品のように、流動的な曲線が効果的で、狭い空間を生かしているところなど、バロック建築の代名詞のような San Carlo alle Quattro Fontane を思い出します。と言っても内部はプーリア・バロックが炸裂していて、ボッロミーニの革新的で幾何学的な美しさとは程遠いのですが、そんな祭壇も私は好きです。天才の芸術作品では無く、当時の民衆の好みが如実に伝わってきます。


これがその祭壇です。テラコッタやストゥッコ(漆喰細工)を多用した、天使(プットー)が所狭しと配され、見方によっては悪趣味とも言えますが、笑いを禁じえませんでした。これは良い意味です。楽しくしてくれたのですから。

Chiesa del Gesu`

これはイエスの聖堂というイエズス会の聖堂ですが、こちらはグッとお金もかかり、技術も向上していますが、趣味は一貫して、バロック特有の捻れ円柱に装飾を加えています。レッチェではあっちでもこっちでも、このネジネジしまくった聖堂に出会います。



柱頭は非常にシンプルな建築でも唯一意匠に凝る場所です。至る所デザイン化されているレッチェでは当然、柱頭は壮絶な凝り方です。

またショッピング好きの私にとって、レッチェは凄く魅力的です。ミラノ、ローマ、フィレンツェといった知られ過ぎた都市には、東京ほどじゃ無いけれど、お店が一杯あり過ぎて限られた時間では大変。どこでも買える有名ブランドには興味が無いので、独自のブランドやモールがあるレッチェには惹かれます。それに北部や山岳地帯は、基本的に暗く地味、それに対して南部や海岸地帯の町は明るくて派手なのも大好き。一歩間違えると大変なことになりそうなところもスリリングです💝👭


2018年4月5日木曜日

プーリア:ブリンディシ:東方世界への港

2018年秋の「イタリア美術と歴史の旅」はブリンディシの空港に降り立つので、ブリンディシについて。

Castel Svevo

ブリンディシという名前は「鹿の頭」という意味で、それは地形から来ています。南イタリアの多くの街は、起源が紀元前に遡るのは当たり前で、イタリアの世界に稀に見る特徴を物語っていますが、この街もその一つ。

世界史の花、古代ローマが世界帝国になった理由は様々ありますが、マイルストンや「全ての道はローマに通ず」という言葉が表しているように、街道を整備したことが一つの大きな理由です。その最南端がこのブリンディシでした。古代ローマ街道の中でも最も有名なアッピア街道とトライアヌス街道の終着地なのです。


このためここには様々な文化的背景を持った人々が特に頻繁に出入りしました。特に東方、ビザンチン、コンスタンティノープルや、19世紀にはボンベイ(インドの現在のムンバイ)との深いつながりがありました。

1927年からは大戦下で、アドリア海における最大の港となり、43年9月から44年2月までの数ヶ月は、政権の混乱期にイタリアの首都とさえなりました。そんな世界史を語れるような街なのですが、今は鄙びた小都市です。


当然、考古学博物館など見るべきものはありますが、何しろ日本に来たら大展覧会になるようなものが、南イタリアでは、ゴロゴロ山積みのように出てくるので、全て見ているわけにいきません。前回は一泊できなかったので、今回は到着した日の夜だけですが一泊し、午前中はこの街を見倒したいと思います💪

どんなガイドにも書いてあるのが、「古代ローマの円柱」で、それはかつて世界の花の港だった時代の場所に立っているというのですが、最近起源についていろいろ言われています。私は考古学は音痴なので、「来た。見た。勝った。」の古代ローマのようにはさっぱりいきませんでした。「来た(これは日本語と欧米語のgo=andare,とcome=venire,の使い方の違いで、行ったと同じ意味。)。見た。けど分からなかった。」普通の街並みにある階段にいきなりポツンと立っているその柱は、それほど価値があるものなんだ。ふ〜ん。どう感動すればいいんだろう???


一番気に入ったのは、例によって中世らしい聖堂です。エルサレムの聖ヨハネという名のSan Giovanni al Sepolcro は小さな円形の聖堂で、またまた普通の家に挟まって、縮こまっていますが、中にはフレスコも残り、ロマネスクとビザンチンの融合したイタリアならではの、ロマネスク好きにはたまらない聖堂です。



シンプルな力強い造形です。当時は壁には全体的にフレスコがあったのでしょう。部分的に残っています。やはり完全な形態である円には特別な力があります。


聖堂は街の人たちのこじんまりしたお庭みたいな場所にあります。木が北部と南部で全然違います。夏は何より太陽の光が違うのと、風が素晴らしいのを覚えています。


もう一つ、救世主の聖堂と言う名の Chiesa del Cristo が典型的なロマネスクですが、これはジェノヴァの聖堂を思い起こさせます。レッチェへ向かう、かつての門の入り口にあり巡礼聖堂だったのかもしれません。

cattedrale

この他に当然司教座聖堂があり、そこには博物館が併設されていて、私の記憶ではフェデリコ(フリードリッヒ)二世直筆の御触れなど見ました。ルネサンス期(だと思う)の投票箱だとか、印象的でした。


司教座に併設された、獅子図書館です。見てるといくらでも行きたくなります。イタリアの人たちはなんて恵まれてるんだろう。こんな素晴らしい環境で一年中勉強しているなんて、とついつい思ってしまいます。


これは最初の写真、ホーエンシュタウフェンのお城ですが、ここで行くべきかどうか。多分その時間は無いでしょう。何しろプーリアには12世紀ルネサンスの夢と仰がれる、フリードリッヒ二世始め、彼らの素晴らしい要塞がた〜くさんあって、どれか一つを選ぶしかありません。


これはそのうちの一つで、ブリンディシ郊外のオリアと言うところにある、美しい要塞風景です。

でもブリンディシは私なら残ってもいいけど、仲間のために、午前中で後にして、次の街プーリアの三代首都(フォッジャ、バーリ、レッチェ)の一つレッチェへ向かいます。